TMP TM-project.(株式会社ティーエム・プロジェクト)

会社概要

社長インタビュー 編曲家 松井 忠重

5千曲超のアレンジ実績をブライダルプロデュースに反映。

Q 音楽の世界に足を踏み入れた経緯を教えてください

小学生の頃から音楽に興味があり、17歳の時に自費出版でレコードを出し、地元の茨城放送でオンエアーしてもらいました。東京のレコード会社へ売り込みましたが、ほとんどの 会社では担当者に会わせてもらえない状況の中、東芝EMIの高嶋弘之さん(※俳優の高嶋忠夫さんの兄であり、現在ヴァイオリニストとして活躍する高嶋ちさ子さんの父。ビートルズを日本に紹介した人物)に作曲を認めてもらえた。本当は作曲の世界を目指していましたが、高嶋さんの勧めもあり、シンガーソングライターとしてデビュー。1年後、改めて作曲家を目指していたところ、梶芽衣子さんのアルバムレコードづくりで声をかけてもらいました。

Q アレンジャー(編曲家)として活動のきっかけは?

作曲家デビューして間もなく、あるプロデューサーに「ストリングスアレンジ(編曲)はできるか?」と訊かれ「できます!」と即答しました。ストリングスアレンジなんて当時は、意味さえ解らないのに出来る分けないのですが本当はできないけれど、そう言ったらやらせてもらえないじゃないですか(笑)。1ヶ月間、必死に勉強して、三木たかしさんが作曲した片平なぎささんの作品で初アレンジに挑戦しました。松山千春さんの『旅立ち』をアレンジしたのは23歳の頃。歌い手に合わせて、アレンジャーも若い奴をつけようということで、私が選ばれたようです。大ヒットした、もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』(※1980年の日本レコード大賞・金賞、全日本有線放送大賞・大賞、日本歌謡大賞・放送音楽特別賞をそれぞれ受賞)を手がけたのは28歳の時。作・編曲をした楽曲はCM等を含めると5千曲を超えていますね。

Q 平成3年、ティーエム・プロジェクトを設立した経緯を教えてください

会社設立の前年、地元茨城県の音楽好きな後輩から音楽に接した仕事がしたいと相談を受け、音楽イベントとか、結婚式の音楽等の仕事をしてみたらとアドヴァィスしたところ、彼がやる気になり、土日を使って一生懸命営業を始めたわけです。多少反応が良かった為か彼が「この仕事をするための会社をつくってくれ」と言い出しました。私にそこまでの気持ちはなかったけれど、じっくり考えた末にティーエム・プロジェクトの設立を決意ました。当初は、音楽にお金をかける人など全く存在せず、殆ど収益がなかったですね。ですから「会社を作って」と言った友人は、設立3ヶ月後には突然「迷惑はかけられない」と辞めてしまいました(笑)。しかし彼が辞めた後、仕事が急に舞い込んで来てしまったので、会社の代表である私は辞められない。設立して半年後には6ヶ所の結婚式場等と契約でき、将来に繋がるかもしれないという手応えは少し感じていましたね。

Q 音響を中心とするブライダルプロデュースについての“想い”を聞かせてください

最近の若者は驚く程音楽に対するこだわりを持っています。以前は定番曲というものがあり、どこもかしこも、同じ様な曲が流れていましたが、現在は二人の個性を打ち出した、本当にセンスの良い選曲に変わって来ています。結婚式を行なう上で重要な演出を担う音楽だからこそ、選曲も含め「これが自分たちなんだ」と表現するのに最適なジャンルなのだと思っています。私たちはプロの立場から全力でそのお手伝いをさせていただいております。みなさんの高い満足度へダイレクトに繋がっている仕事ですから、喜びも大きいですよ。

来年(平成23年)で当社も設立20周年を迎えます。当初は殆どのところがカセットテープを使用していましたが、音が悪すぎると常々思い、当時レコーディングで使用していたDATという高音質なテープを取り入れました。その後CD、MDと変遷し「もっとこうした方がいい」、「こうしたらこうできるんじゃないか」という現場の声を加味してきた結果、現在の『デジタルサウンドシステム』も構築できました。

又、演奏家の方々に対してもただ間違いなく演奏するだけでなく、作曲家の思いをどこまで解って演奏しているのか疑問を感じる時が度々あります。難しくなってしまいますが、もう少し和声とかハーモニーを理解した上での演奏が出来る様、少しづつ教えて行きたいと思ってます。なかなか時間がなくそこまでたどり着かないのですが。更に、本来は演奏家の地位向上も図って行かなければならにならないのですが、現状困難が沢山あり過ぎます。まず、演奏家自身もっと勉強すること、又それを聴く人達も、もっともっとファッション的な感覚でなく、本当に、音楽を理解出来る環境にあっていただければと考えています。

代表取締役・編曲家/松井 忠重

17才の時、シンガーソングライターとして東芝レコードよりプロデビュー。その後、20才より作・編曲活動に入る。松山千春のデビュー曲「旅立ち」から一連のアレンジを担当し、以来、来生たかお等のニューミュージック系のアーティストを担当する。代表曲、もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」は1980年最大のヒットを記録した。その他、高田みづえ「私はピアノ」内藤やすこ「六本木ララバイ」来生たかお「グッバイデー」を始め、松田聖子、小泉今日子、小椋佳、吉幾三等を手がけ作・編曲の総数は5,000曲を超える。最近では五木ひろしの40周年記念「女の絵本」にも参加、これは平成16年度レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。更に、CM音楽での代表作として『ピカピカの一年生』その他アニメ音楽、劇場用音楽、多方面で活躍し第10回東京音楽祭では最優秀編曲賞を受賞。日本著作権協会正会員でもある。